「まほろば龍通信」の第二号です。
先週、記念すべき第一号を配信しました。
お読み頂いて、どうでしたか?
あー、内容忘れちゃったよー
まだ読んでない・・・
そんなかたは、バックナンバーをご利用くださいね。
実は、第一号の配信後、いろんなかたからメルマガの感想をいただきました。
とても嬉しかったです。
このメルマガでは、龍から聞いた話や日本の神様、奈良のお話を中心に書いていくつもりですが
もし、こんなお話も聞いてみたいなーということがあれば、お気軽にメッセージくださいね。
皆様からのリクエストに応えていきたいと思っています。
では、第2回目のはじまり、はじまり~
今日は、私が龍と出会った神社、「葛城坐一言主神社」(かつらぎにいますひとことぬしじんじゃ)に祀られている、
一言主神(ひとことぬしのかみ)のお話の続きです。
一言主神が、葛城山(かつらぎさん)で雄略天皇をこらしめてから、200年ほど後の7世紀ごろ。
葛城山に、役行者(えんのぎょうじゃ)という呪術者が住んでいました。
役行者は、葛城山での厳しい修行の結果、不思議な力を手に入れた、と言われており
空を飛べるらしい。とか、鬼をパシリに使っているらしい。とか、いろんな噂が立っていました。
その鬼というのは、一言主神に仕えている鬼神たちでした。
神様のお使いたちを、パシリに使うとは、怖いもの知らずですね。
ある日、役行者は、葛城山と奈良の金峰山(きんぷせん)の間に、橋をかけよう!と思いつきます。
葛城山は、奈良と大阪の境にある山、金峰山は奈良の南部、吉野にある山で、どちらも修業する場として有名でした。
私は、空を飛べるなら、わざわざ橋をかけることもないだろうに・・・と思うんですが、
とにかく
橋をかけたくなった役行者は、そのアイデアを形にすべく、着手します(行動力はバツグン)。
でも、自分の汗は流しません(ずるい)。
鬼ですらパシリに使う役行者、橋作りは・・・
もっと強力な力を持つ神様、そう、葛城山に住む一言主神にやらせようとしたのです!
一言主神が、ほいほい、お任せあれ(^^)と笑顔で引き受けたのかどうかは、わかりません。
ですが、一言主神は、役行者の言うとおり、二つの山にかける橋を作ろうとしたそうなんです。
葛城山には、今でも岩橋(いわはし)という地名の場所があって、
そこは、一言主神がかけようとしていた橋の名残があった、と言われているんです。
あれ?
かけようとしていた??
かけた、じゃなくて?
そうなんです。
その橋、実際には完成しませんでした。
というのも。
一言主神は、太陽が落ちて、あたりが真っ暗になった夜の間しか、橋作りをしなかったからなんです。
その理由は。
一言主神は、自分が醜いということを恥じており、
人目につく昼間には、外に出ようとしなかったからだと言われています。
そういえば、雄略天皇をこらしめたときは、雄略天皇の姿で現れましたね。
もしかすると、誰も、本当のお姿を見たことがないのかもしれません。
話は戻りますが。
電気のない古代の日本、夜になれば、山中は当然真っ暗やみです。
しかし、山頂に近ければ、月明りがよく届いたかもしれません。
きっと、一言主神は、月が綺麗に見える夜も、橋作りをしなかったことでしょう。
となると、ひとつきの間、半分は橋作りを休んでいたことになります。
なかなか出来上がらないわけですね。
役行者は、神の強大な力をあてにして、一言主神にやらせようとしたのに、橋作りが進まないことに腹をたて、
一言主神をいじめたそうです。
呪術を使って、身動きできないようにしたのかもしれませんね。
鬼や神様の動きも封じ込めてしまうとは、役行者は、よほどすごい呪術の使い手だったのでしょう。
しかし、一言主神もへこたれません。
役行者がどんなに怒り狂っても、絶対に自分の方針を変えることはしませんでした。
そのため、橋はとうとう完成しなかった、と言われています。。。
あなたは、このお話を聞いて、どんなふうに思われましたか?
雄略天皇の時代では、強大な力を持ち、おそれ敬われていた一言主神ですが
200年ほどたつと、その力が弱まったようにも感じられますよね。
それは、葛城山に住む神様よりも、
人間でありながら修業により、不思議な力を手に入れた役行者のほうが、
その当時の人々の信仰があつかったから、なのかもしれません。
役行者にいじめられても、夜の間しか橋を作ろうとしなかった一言主神。
言われたとおり、やってるわい。
何の文句があることか。
昼間も働けとは、言わんかったじゃろ、そんな約束もしとらんわい。
・・・という、一言主神の声が聞こえてきそうでしたよね(笑)
今日、あなたにお話しした内容は、私が子供のころ、母から聞いた話になります。
初めてこの話を聞いたときは
「誰にも見られたくない顔って、どんなお顔なの~」
と、すごく気になりました(笑)
私の母は京都生まれの京女でしたが、父は奈良で育ち、二人とも歴史好きだったので
子供のころから、近畿に伝わる昔話をたくさん聞かせてくれました。
この一言主神と役行者の橋作りのお話は、昔から人気があったようで
平安時代に作られた「続日本紀(しょくにほんぎ)」という歴史書や、
「日本霊異記(にほんりょういき)」という説話集にも、同じような話が載っています。
それにしても、神をもおそれぬ役行者。
あなたは、彼がどんな人だったのか、気になりませんか?
役行者は、本名を役小角(えんのおづぬ)といい、実在したと言われています。
私は読んだことがないのですが、「宇宙皇子」という小説にも出てくるそうです。
彼は、私が龍と出会った神社がある、奈良県御所市(ごせし)で生まれたらしいですよ。
来週は、この役行者について書いてみようかな、と思います。
では、また来週(^^)/
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[注]
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